祭り太鼓発祥の地・ウカミヤー毎年、全島の日の昼には祭り太鼓発祥の地・ウカミヤーで太鼓を叩きます。ここでは、年によっては選抜メンバーしか叩けません。去年は、運良く全員で叩きましたが、今年は幹部のみの選抜メンバーだけの予定でした。 なのに、当日の時間直前に全員で叩くことになったのです。 突然、どうしたんだろう?でも、叩けるのは嬉しいな、と思っていたら、実は我らの高山さんが本部の方々に全員で叩こうと提言して下さったそうです。 ありがたいことです。 それにしても、発祥の地とはどういう意味でしょうか? たとえば長崎は、西洋料理発祥の地とか、ビリヤード発祥の地だったりしますが、それは日本で最初に伝わったという意味です。 祭り太鼓は目取眞さんがつくったもので、自然発生したものでも伝来したものでもありません。「最初、ここの近くで練習したそうよ」 それでは、近くのここを発祥の地と決めたということでしょうか? ウカミヤーで演舞した後、お昼ご飯を食べにはいった蕎麦屋で高山さんに聞いてみました。 最初、祭り太鼓ができたとき、目取眞さんは普通の青年会と祭り太鼓と二束のわらじをはいていたそうです。青年会のエイサーは、みちじゅねーといって、お盆にあちこちのおうちに呼ばれて太鼓を叩きます。目取眞さんは、あるお家のおばあさんに、うちにもちょっとした拝み所があるから、お盆に来てほしいと頼まれました。引き受けたものの、あちこちを回っていて忙しく、おばあさんに頼まれたことも夜まで忘れていたそうです。 遅い時間に思い出して、人を集めておばあさんのところに太鼓を叩きに行ったら。 おばあさんは、ずっっと正座をして待っていらっしゃたそうです。 正座をしていたため、足のひざから下は、血を流していたそうです。 それを見た目取眞さんは、祭り太鼓は、一人でも見たいと望む方がいる限り、太鼓を叩いていこうと強く思ったそうです。そうして、その気持ち、初心を忘れないように、おばあさんのお家の拝みどころ、ウカミヤーを祭り太鼓発祥の地としたそうです。 私のうろ覚えのではありますが、これが祭り太鼓の原点だそうです。 |