全島エイサー物語

九州地区長 高山さんの書かれた全島レポートです。
(多少の省略と、文末・句読点等の変更は管理人によるものです。)

1. 3年ぶりの沖縄

これから出発 台風接近で心配された福岡空港沖縄行き。辛うじて飛び立とうとした飛行機が滑走路を走行中、メンバーの一人が「んー、苦しい・・・おなかが痛い・・・トイレ!」慌てるスチュワーデスさんの姿が気の毒だ。これが中身の濃い全島の幕開けだった。
灼熱の沖縄。気怠いほどの暑さの中で、久々に体感する沖縄の空気がどこか心地よく、懐かしいにおいがした。
チェックインの後、皆でそばを食べに海南の「まるやす食堂」へ向かう。そこは道路のすぐ脇に面していて内地の屋台風なのだが、どこかアジアン・テイストのある店で、次々に出来上がる沖縄料理にみな舌鼓を打つ。お腹も膨らみいざ練習場所へ。
新人や知らないメンバーが多くいる中、古いメンバーとの挨拶をすませ、邦夫さんに報告に行く。予定通り練習が始まり、みながそれぞれに位置に付きスタート!なんとここで私が打つ銅鑼の音で皆が動き出す。タイミングが判らず不安な中にも爽快感がただよった。みなぎる若者のパワーが私の緊張感を一気に高める。時間がたつごとに演技も揃い、その表情から笑顔が生まれる・・・そしてそれが自信へとつながり明日の糧となる。

2. 宮古支部の上原さん

一緒に この練習の中で、頭をハンマーで殴られるような光景を目の当たりにした。それは宮古支部の上原さんの姿が目に入ったときです。
若いメンバーが躍動感あふれる演技をしている中、どう見ても上手いとは言いがたいようなその姿が映ってきました。よくみると私よりはるか年上だ!え!その年齢で新曲!? 目を疑いました。
実は私達顧問組みは、体力の衰えを感じ25分間太鼓を打つのは無理だろうと判断し、ウカミヤーという祭り太鼓の発祥の地でけじめをつけるために今回の遠征に参加したわけですが、そんな私達に「このままでいいんですか!?一生懸命限界までやりましたか?私は祭り太鼓がどうしてもやりたいので、とことんやらせてもらってます。」上原さんの背中がそんな風に語っているようでした。
私自身、なにか事あるごとにメンバーには一生懸命やりなさいと激をとばしているのに、なんとも恥ずかしい限りです。私達3名はこの上原さんから目が離せなくなりました。
やがて通しの練習が終わり、「次、ビアフェスタの体系を取ります!」
上原さんはでないのだろう、後ろに退けていきました。しかし演技をやらないはずの「かりゆしの夜」を少し離れたところで覚えようと一生懸命練習していらっしゃいました・・・。

谷川が、上原さんの帯を持ってあげたときに、自分のと違うことに気づき、「なぜ帯が違うのですか?」と聞くと「かみさんといっしょ!」と一言。その帯は奥さんの帯に祭り太鼓の帯を重ねてあったそうです。

3. ウカミヤーでの初心と感謝の気持ち

ウカミヤーにて 全島当日、スカッと晴れた沖縄の夏を期待したのですが、曇り・・・。ウカミヤーとは祭り太鼓の発祥の地であり、全島の日の欠かせない行事の一つです。
運営の大城さんの指示で隊列を整えるメンバー達。祈願の準備をする目取眞さんらトップの方々、太鼓を運ぶ指導部の人、迎恩旗をあげる準備をする旗団の方々・・・。それぞれがあわただしく動き回り準備が整う。幹部が集められ狭くて暑い場所にひざまずく。
去年1年間無事に終えた報告と今日の成功、そしてまた1年間祭り太鼓が何事もなく無事に成長し続けるように神聖なる”うがんじゅ”が始まった。
数分でその儀式は終わり、いよいよ私ら顧問の目的であるけじめの時間が来た。全島の隊列をそのまま取ったため、私達の場所がない・・・。しかたなくもあつかましくウカミヤーの正面で旗の間に陣取った。ミルクムナリが流れる。正面を見るとウカミヤー、横を見ると山口・谷川。そしてその後ろの歩道の上ではなんと原田さんが打ってくれている。感無量でした。
祭り太鼓発祥の地で打つことの意味は、自分が”祭り太鼓をやりたい"と思ったときに戻ることと、そしてそれを作り上げた当時のメンバーへ、また、現在まで継続する為に支えてくださったすべての方々へ感謝の気持ちをこめてバチを振り下ろし声を張り上げる。自分にとって最高のミルクムナリでした。その後も演技は続き私達は指笛とヘーシでみんなを見守る。終了後改めて、3名はウカミヤーの祠の前に行き、お参りをしていると原田さんと園田支部長が来てくれた。みなで手を握り合った。

4. 完全燃焼のオリオンビアフェスタinコザ

会場 昼食を済ませ、大型バス4台で一斉に会場へと移動する。1時間程走ると会場のコザ運動公園へ到着した。辺り一体祭りの雰囲気が漂い、心地良い三線の音と太鼓の響きが聞こえていて、うおーっ、やってきたぞーっ、と気合いが入る。
集合場所に集まり、準備を進めるその傍ら他の青年会のエイサーたちが同じ場所に集まっている。一気に気合いが入りまくる。
立ち位置を確認してスタンバイ・・・。実は私達3人は新曲の「オジー自慢のオリオンビール」をOBの方々と一緒に打つと聞いていたので楽しみにしていたら、結局現役メンバーと一緒に打つことに変更、しかも「五穀豊穣」が増えて・・・んー、これが沖縄!
当日変更なんて当たり前、几帳面の人は文句だらだらふてくされるところだが、それで間違えたり失敗しても一切責めないのがまた沖縄である。いいかげんと言えばいい加減。おおらかといえばおおらか・・・。素晴らしき「てーげー」である。
沖縄好きの私としては、好きの好きたる由縁の一つかな!?
「武の舞」の後、Aチーム「みなとーま・かりゆしの夜」とBチーム「五穀豊穣・オジー自慢のオリオンビール」にそれぞれ別れスタンバイ。武の舞がかかり、いよいよスタート。ここですでにアクシデント発生!最後の部分で音が消えてしまった・・・。音無しでも動じず演技を続けるメンバーに拍手喝采!結局「みなとーま」もかからずいきなり「かりゆしの夜」に進む。袖で見ていた私達の目に飛び込んできたのは、美穂と瀬戸さんが楽しそうに太鼓を打っている姿だった。あんなに楽しそうに打つ二人の姿を見て思わずこみ上げてくるものが・・・・・・。
好評のうちに交代し、Bチーム登場!ハイタッチしながら入れ替わるメンバー達。そこには”みんないっしょだよ”の連帯感が生まれていた。五穀もオジーも最高の盛り上がりを見せて、気分は最高潮のまま、3人で力いっぱい握手を交わし沖縄での太鼓の幕を閉じた。

5. 心地よい緊張のスタンバイ

ウッチャキ オープニングからあんなに盛り上がっていいものか!?という勢いを残して再び集合場所へ。ここで私達3人は大城さんより渡された”ウッチャキ”をはおり、傘をかぶった。自分のことはさておき後の二人の姿を見て「ぷっ」・・・似合いすぎ!山口は百姓が今から作業をするところで、谷川は道の脇のお地蔵様みたいで、思わず手を合わせてしまった私でした。笑い話はさておき、信じられないことにこのとき初めて3人の動きを教えてもらいました。
慌てることなく冷静に受け止め自分の動きをイメージしてゆく。アドレナリンが少しずつ増えていっているのがよく判る・・・。
「移動!」の声に気合いは最高潮!一歩一歩会場へと足を運ぶごとに過去の全島の記憶がよみがえり、懐かしさと期待と不安が心の中でチャンプルーされる・・・。なんと心地よいひとときだろう。
360度大パノラマの観衆!琉球國祭り太鼓は前半の最後ぐらいの出番だけどすでに会場には一杯の人が。近くの人が「頑張ってねー」と声をかける。スタンバイの位置で待機していると「写真を一緒に!」なかなか悪い気はしない・・・。谷川は「始めてばい」とはしゃいでいる。
ステージでは喜屋武青年会のエイサーが披露されていて、そのバチ捌きとパーランクーの動き、また寸分たがわぬその動きに、3人飲めは釘付けになっている。これはある意味芸術だ。相当の修行を積んでいるのだろう。これぞまさにエイサーである。
これを目の当たりにして燃えないわけがない!
気合い充分で臨む芝生の向こう側・・・・・。いざっ!

6. 琉球國祭り太鼓の底力

鼓衆の外間さんの打つ大太鼓がセッティングされる。銅鑼の位置も決まり、メンバーが入ってくる。アナウンスが流れ、一発目を打とうとしたら、いきなり音楽がスタートしてしまい、え!打ち合わせと違う!メンバーがまだスタンバってないのに・・・。
過ぎたものはしょうがない。銅鑼の合図がないまま、入場が始まってしまった。
天の悪戯か!?または祝福なのか?いきなり大雨が叩きつける。どうする?もしここで中止なら俺が合図しないと・・・。
いろんなことが脳裏を掠めながら時間は過ぎていく・・・。ふとメンバーを見るとそんな不安も吹き飛んでしまった。激しい雨に動ずることなく、堂々と入場行進しているではないか!まさに大粒の雨が緊張を洗い流し、どこか吹っ切れたような立派な入場行進だった。いよいよ私の出番だ。三顧の礼の合図は銅鑼の音にかかっている。全体を見渡しメンバーと呼吸を合わせる。見事だった。そんな心意気を天も見ていたのである。雨足が弱まった?か、やんでしまったか記憶に残っていないが、気にもならなかった。後から聞いたが、全島で祭り太鼓の時、雨が降ってきたのは初めてのことらしい。
退場の異人伝説は獅子・赤龍・旗・太鼓のコントラストがとってもきれいだった。会場からひときわ大きな拍手・・・。見事な構成にただただ感動して、力の限り銅鑼を打ち鳴らしていた。
エイサーの中での祭り太鼓の役割は十二分に発揮できたな、と、その帰り道の足取りは非常に軽かった。

7. 感動の汗と涙

本番終了後 演技がすべて終了し、会場から割れんばかりの拍手の中、大城さんの配慮で表彰台へ進む。企画委員長の比嘉康章が賞状を、そして私が目録を頂いた。祭り太鼓を代表してここへ立つことがどんなに名誉なことか・・・・。運営委員長の大城 浩に感謝です。
出口で会場の皆様に挨拶を済ませた後、思わず大城さんと抱き合い、その感動に浸りながら、男泣き。 長崎支部のみんなと早く会いたくて足早に写真会場に向かう。
みんなの姿が見えたとたん、記憶がなくなる。誰とどんな挨拶をして誰と抱き合って喜び合ったか覚えていない・・・。言い換えれば、それほど嬉しかったのだろう。3年ぶりの全島で、太鼓は打たなかったが、みなと一つになって大きな目標をやり遂げた達成感みたいなものが汗となり、涙となり溢れ出たのであろう。いつまでも、いつまでもこの場所にいたい雰囲気でした。
集合した場所にいったん戻り、片づけを済ませ、目取眞武男さん、目取眞邦男さん、OBの知花さん、後、構成・準備・進行をしてくれた本部のメンバーに、お疲れ様の挨拶を済ませ、感動の余韻に浸った。

8. 祭りの終わり

それぞれ迎えに来た大型バスに乗り込み、会場を後にした。
来年もこれるのだろうか?また来たい!という想いを胸にしばしの眠りにつく。雨と汗でびっしょりなので健康上、着替えてから〆をすることになった。幹部の配慮である。全員が集合して北から順番に代表が挨拶してゆく・・・。皆それぞれに感動し喜びを噛みしめていたみたいだった。
ただ「全島に参加する限り、もう少し早くアクションを起こし、演技面のレベルを上げて望むべきでは?」という意見もあった。
それは正論である。理想でもある。でも、それは全島までに充分な準備期間があってのことで、そんなに暇な祭り太鼓ではない。本部の方々は忙しい合間を縫って、なんとかこなしてくれている。そのことを思いやる姿勢こそ大切ではないだろうか?
われわれが出来ることは、アクションが遅れたとしても、様々なことを愚痴をこぼさず自分のものにしてゆくこと。その姿勢が私達の迎恩ではないだろうか? 先ほどの言葉は「下手は踊るな」と言っているようなもので、そうであればほとんどの人が踊れなくなると私は思う。
私達琉球國祭り太鼓はプロではない。だからみんなやりたいと思う人はいつでも出来るし、不器用な人でもやることが出来る。それが最大の強みであり、また素晴らしいところでもある。そして、人として生きてゆくうえで、永遠のテーマとなりうる「迎恩の心」を第一に掲げそれに向かって進んでいる・・・。
私個人もうひとつ好きなところがあり、それは「素晴らしきいい加減さ」、いわゆる「てーげー」というところだ。
きちんと予定通りで、規則正しい四角四面の生活・・・はたして楽しいだろうか? 私は沖縄の「なんくるないさ」と言う言葉が大好きで、おおらかさや人としての温かさ、優しさが伝わってくる。いつまでも沖縄の沖縄らしいところは忘れないでもらいたい。
「いちぃぬ世までぃん 忘れんなよーや ウチナーぬ心」   です。

9. 古謝美佐子さん

大盛り上がりを見せた全島エイサーも終わり、意気揚揚と那覇のホテルに帰る。その打ち上げも、大盛り上がりを見せたのは言うまでもない。しかしながらいつも感心することに、沖縄の夜は長い。夜中の2時を過ぎても本島のメンバーが遊びに来る・・・。さすが情熱の邦・沖縄だ。
情に厚いといえば古謝美佐子さん・・・、元ネーネーズのリーダーで、今はソロで活動してらっしゃる。以前熊本のアスペクタでご一緒させていただいたのが出会いで、以後メル友させてもらっいる。「沖縄に来たときは連絡してね!いろいろ案内するからさー」
あのネーネーズが私達を案内!?信じられますか?
私達は美佐子ネーネーを尋ねて嘉手納まで行く班・買い物班・観光班に別れ、それぞれに沖縄を楽しむ。私はもちろん嘉手納班。
晴れ渡った青い空に、木陰が良く似合う静かなたたずまいの小さな喫茶店、美佐子ネーネーお奨めのコーヒーショップ。マスターが一人で静かにコーヒーをたてる・・・。飲み方にもこだわりがあるほどちょっと変わっているらしい・・・。楽しいひと時だ。ゆっくり流れる時間の中で、ふと窓の外に目をやると、晴れているのにどしゃ降りの雨・・・・。久々に味わうスコール。ここは沖縄だ。
ゆっくりしたい気持ちをよそに、時間の都合で足早に岐路へと向かう。再開を約束して一路進路を空港に。

10. 目取眞さん兄弟の見送り

空港に着くと武男さん邦男さんが見送りに待っててくださいました。「原田さんがせっかく来てらっしゃるから」上の茶店でコーヒーでも飲みながら話そう・・・・。内容は2年後の話だった。
やはりこの人たちは凡人とは違う・・・。驚くもそのペースに乗っている私と原田さん。ん〜。
でも、とっても有り難かったのが、昨日のビデオを早速ダビングして、1時間もかけてわざわざ空港まで持ってきて下さった事。そして邦夫さんが直々に来てくださった事。
と!そのとき場内アナウンスが・・・飛行機がでてしまう・・・!

11. あわただしい帰省と笑い声の絶えないバスの中

スチュワーデスから呼ばれ、セキュリティーチェックの順番も割り込みさせてもらい、場内を100メートル走みたいに駆け抜け、やっとこさ飛行機に乗ることが出来た。係の女の人に「セキュリティーチェックが長すぎて・・・」なんて皮肉をちくりと刺したら「あれ?高山さんでしょう?」「え?」
世の中は狭いもんですなー。以前石垣で一緒だった祭り太鼓のメンバーでした。ん〜。穴があったら入ろうかね状態へ。口は災いの元。はぁ〜、まだまだ修行が足りません。
一路福岡へ。無事に到着して解散式を済ませ福岡支部の千恵ちゃん、瀬戸さんへ別れを告げ長崎へ。夕食を済ませ高速道路を長崎へと向かったわけだが、そのバスの中の賑やかなこと・・・。
沖縄ではホームシックにかかっていた山口がいきなり元気になって、到着するまでずっと笑い声が絶えなった。運転を3名で交代しながら無事に愛野へと到着し全工程を終了した。

今回それぞれいろんな思いがあったと思うけれど、決してこの時間は戻ってきません。いい思い出とし、またいい教訓とし、明日の自分にプラスしてください。決して奢ることなく、謙虚に何事にも臨んでください。
いつまでも、こころに「迎恩」を・・・・・。


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